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初の授業参観 2014.04.28
支援学校の入学式から3週間が過ぎ、始めての授業参観。
下の子の家庭訪問と重なったため母は行けず、代わりに父が行くことになった。

母が行かないことに少々不満だったようで、
「お父さんが行くから・・」と伝えると、
「・・ハイ」と気のない返事。

当日、歓迎されないとは知りつつも、朝早くから車を飛ばして授業が始まる
5分前に着いた。

教室に入ると、まだ教室はガヤガヤしていて席についている生徒は半分しかおらず
肝心のYOOの姿も見えなかった。
生徒たちが一人また一人と席に付き始めてもなおYOOは現れず、廊下に出てみたところで
バッタリ会った。

父の顔を見るや「お腹が痛いんですう~」と訴えるYOO
「大丈夫か?」と問うと
「大丈夫じゃないよ」と憮然とした表情
どうやらお腹が痛くてずっとトイレにいたらしい。

教室に入るなり担任の先生に腹痛を訴え、ホームルームの時間に保健室に行かせてもらい
薬をもらって飲んだ。
心配だったが、薬を飲んでからは体調も回復してきたようで曇っていた表情も普段の様子に。

支援学校では作業学習が主で、木工や陶芸、園芸といった作業を通して「働く力を身につける」
授業が行われる。
作業学習はずっと同じことをやるのではなく、進級するとまた違うことをやるらしい。

YOOはとりあえず木工を希望したようで、授業参観のこの日は木製ベンチの板を電気ドリル
を使ってねじ締めする作業をしていた。
巨漢のYOOと、この日のパートナーであるダウン症の小さい女の子が一緒に作業している
様子は、まるで兄妹のようで微笑ましい光景だった。

家では見たこともない、集中して作業するその姿に成長を感じて、うれしいのと同時に
学校や他の生徒たちとも馴染んでいて、取り乱すことなくその場に適応していることに驚いた。

初めての支援学校、初めての土地、家を出て児童施設での集団生活と、初めてづくしの大きな
大きな環境の変化。

「いったいどうなるんだろう・・」と気をもんでいた。

不安や不満を周囲に当り散らし、叫び声をあげてガラスを割ったり、学校を抜け出したりしないかと
心配していたが、これまでのところ、まったくそんな様子はなく見事に順応している。

担任の先生に聞いても「今のところ非常にスムーズにきています、あっけないくらい」
との事だった。

親の心配をよそに、確実に成長している息子の姿に安堵して授業参観は終わった。

YOOも、もう高校生。
いつまでも、かんしゃく小僧じゃないよね。
本当はお母さんに授業参観に来てもらいたかったかもしれないけど
がんばってる姿はお父さんにも分かったよ。

これからも「がんばれYOOちゃん」だ。
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YOOが家を出ていって一週間が経ち、我が家は経験したこともないような静けさに包まれている。


まだ、親子共々新しい生活に馴染めないでいるが、これまでのところYOOのほうは特に問題もなく
過ごせているようだ。


自閉症児の育児の中で、「この子さえ居なければ・・」
と思うことは多いだろう。

健常児のすさまじいほどの能力の高さを見るにつけわが身、わが子を呪ったりもする。
「もうたくさん」と言うほど惨めな思いもする。


「自閉症児の居ない生活がしたい」「普通の生活がしてみたい」と思うのが人情だと思う
それはもう、切ないほど、心の底からの願望である。

小学校低学年のころ

YOOは人間の声とは思えないような奇声を発するようになった。

そのあまりの非人間的な声と、まるで汚いものでも見るかのような周囲の視線に耐えかねて
何度も施設に入所させることを考えた。

そう、親であることから逃げる手段を模索した。

しかし、できなかった。
時折見せる子供の愛らしさを親として信じてしまうからだ
そして何より自分には他に愛情を向ける対象がなかった。

今回、自宅から遠く離れた高校に進学させたのは、
「自立心を育てたい」
「友達を増やしてあげたい」
「自宅のある地域では高校卒業後の自立、就労の可能性がない」

との理由からだが、「家から出したい」「この子と離れたい」
との思惑がなかったと言えば、嘘になる。

だから今回の高校進学にあたっては地元の学校という選択肢ははじめからなかった。
いわば本人の意思を無視して親の勝手できめたと言っても過言ではない。

その目論見は達成され、YOOは自宅から遠く離れた児童施設から高校に通うことになった。

それは、ずっとあこがれた
「自閉症のいない生活」「静かで穏やかな普通の暮らし」を我が家にもたらした。


安堵感に包まれるはずだった。
自閉症児の居ない生活は穏やかで心地よいはずだった。

ところが実際はどうだ


寂しい。


いつも車の助手席に座っていた。
父が帰宅すると「おかえり~」と声をかけてくれた。
お気に入りの椅子に座り絵を描いていた。
食事の時にはお皿や箸を用意してくれた。
「お父さん」「お父さん」て、うるさく話しかけてきた。


王様がいない。

それはもう、恐ろしいほどの寂しさ。

子供の巣立ちというものが、こんなにも寂しいものだと始めて知った。
こんなにも、切ないものだったのだ。

そしてそれは、自分が切望していた「普通の親」の姿に他ならなかった。

我が家の自閉症児は、今までの暮らしが特殊な子育てではなく、
普通の子育てだったということを身をもって教えてくれたのだった。


「親は寂しさに耐えるもの」というのを教えてくれた我が愛息に感謝しながら、
親の身勝手の代償として、ひたすら寂しさに耐えることを受け入れなければならない。
旅立ち 2014.04.07
いよいよこの日が来てしまった。

YOOの旅立ちの日。

進学を決めた支援学校(高等部)は、自宅から遠く離れた地にあり、とても自宅から通える範囲ではない。
そのため、学校の近くの児童施設に入所することにしたのだった。

今日はその入園日。

2日前、些細なことで母親に怒られ、かんしゃくを起こした。
食器棚のガラスを叩き、割れたガラスで両腕に少し怪我をした。

入園する日が迫り不安を感じていたのか、久しぶりに大声で暴言を吐き、騒いでいた。
騒いだ後は自室にこもり、クールダウンして何事もなかったようなそぶり。
その間、父は飛び散ったガラス片をひたすら拾い集めた。


昨日は、前日とはうって変わって、まるで遠足の前日であるかのようにウキウキした様子で、機嫌もよく夜も遅くまで起きていて、眠ったのは日付が変わってからだった。


そして今日のこの日を迎えた。

YOOは一番早く起きて身支度を整え、一人で朝食のパンを食べた後、父を起こしにきた。
不安な様子はまったく見せず、不思議なほど落ち着き払っていた。

10時、数日前から準備していた大きな荷物を車に積み、親子4人で出発。

途中、昼食に「唐揚げが食べたい」というので、YOOの好きな唐揚げ弁当を買ってやった。
父と母はあまり食欲もなくYOOに付き合って食べていた感じだった。

13時を過ぎた頃、これからYOOが3年間暮らす児童施設に着いた。

その園には何度か見学にも来ていて、2時間の一時預かりを2回行い、園で過ごす練習をしていた。
玄関を入り入所の挨拶をした後、担当の女性職員に部屋へと案内された。

がらんとした六畳の和室。4人部屋だった。
名前の書いた洋服ダンスに着替えを入れながら職員と話をする。
ピカピカの制服は家から持ってきたハンガーに掛けた。退屈しないようにと持ってきたゲーム機は「貴重品」ということで事務所であずかるということだった。

若い女性の職員は、とても丁寧に対応してくれて、こちらの言う「鼻炎が心配だ」「乾燥肌だから・・」「ガラスで怪我をして云々」というようなメンドクサイ話にも付き合ってくれた。

そして、とりあえず園での生活がスタート。

保護者会があったので父母はそちらへ出席。
保護者会が終わり最後の挨拶を交わしに部屋へ行くと、YOOはリラックスした様子で部屋から出てきた。

「みんなと仲良くするんだよ」と言葉を掛け、お互いにウルッとしそうだったので、「入学式の日にまた来るからね」とだけ言い残し、園を後にした。

途中の車の中、いつも助手席でうるさくしゃべっているヤツがいないせいで、カーオーディオから流れる音楽がやたらと鮮明に聞こえて不思議な感じだった。

帰宅後、いつも一番風呂に入っていたYOOのかわりに、久しぶりの一番風呂にはいる。
不思議なほどたっぷりお湯が入った一番風呂はピリピリして、いつもと違うことを肌で感じた。

風呂に浸かり遠い過去の記憶を振り返る。
生まれてからずっと父と入っていたお風呂。一人で入るようになったのは何時だったか・・・

自閉症児がいなくなり、我が家は静寂に包まれた。
ある意味それは、自閉症児の子育ての中で心底切望した静寂であったはず。

しかし、ずっと憧れてきた普通の静寂は、なにか居心地が悪い静けさ
まるで主のいない家の寂しさ。

YOOの部屋の壁には、昨晩破り捨てたままの日めくりカレンダー。
今日のこの日を記したまま、静かに主の帰宅を待つ。
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