上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
支援学校高等部の入学試験にYOOと父の2人で臨んだ。

試験日までの数日、特に乱れる様子もなく落ち着いた様子で奇妙な感じだった。
自宅から通える支援学校ではないため入学試験の日の前日からホテルに泊まった。

ホテルで父と二人、大浴場に二人で入り、久しぶりに布団を並べて寝た。

翌日、試験会場に行くと、思いのほか人がいて驚いた。
なんで、こんなに人がいるのかと不思議だったが、説明会のときにその訳が
分った。

我が家は父と息子の二人、他の受験生は父、母、それと担任と思しき先生まで
ついていて、チーム編成だったのだ。

己の認識の甘さを痛感しつつ、心細げな息子を励ましながら、試験へ向かわせた。

面接では、父と一緒に質問に答えるという形式、YOOは固くなり中学の担任の
先生の名を聞かれて答えられなかったが、父が小声でサポートすると気を取り直し
その後は模範解答を連発、無事に面接を乗り切った。

帰り道、YOOの好きな菓子パンを買ってやり、父と息子の長い一日は終わった。
スポンサーサイト
昨年の秋から高校進学のことで、担任の先生と何度も話をした。

県内のめぼしい支援学校を見てまわって、迷いに迷っていたが、最後は父の独断で決めてしまった格好だ。

県内に2校だけ、ちょっとレベルの高い子向けの支援学校がある。
支援学校といえば小学校から高校まであるのが通常だと思っていたが、その2校は高校しかなくて
授業も結構高度なことをやっている。

障害の程度も重度の子はまったくいなくてB1とかB2くらいで、ほぼ普通に会話のできる子供たちばかり。
学習という観点から見れば、とても魅力的な学校だが、競争率もハンパない。

親の見栄なのか欲目なのか、そんな学校を最初は第一希望ということにしていた。
もしかして滑り込めるかも・・・なんて考えていたのだ。

とはいえ高望みということも分かっていたので他の支援学校も手当たり次第に見学に行った。

どこも作業学習が主で時間割や行事なども大差ないように思えたが、最後に見に行った学校が、他の学校よりも良く思えたので、YOO母には
「無理してレベルの高い学校に行かせても、本人が苦しむだけだ」
とかなんとか言って説得し、納得させた。

実のところ、対応してくれた先生が気に入った。という浅はかな理由なんだが。

その学校は県内の支援学校では一番生徒数の多い学校で、歴史も古く校舎も決して新しくはないが、他の学校よりも子供たちに笑顔があったように思えた。
我が家からは遠くて通えないので、近くの児童入所施設から通うことになる。
甘ったれで親離れできるかどうか不安だが、自立心をもってがんばってくれると信じる。

危険な賭けかもしれないが、YOOの可能性を広げることになることを願う。

中学入学以来の最大懸念事項だった修学旅行が無事終わった。

2泊3日の関西方面旅行(主に京都)。
九州から新幹線で大阪へ、京都に2泊して奈良へ行って終了というパターン。

2日目は班行動で京都市内を自由行動・・・だったわけだが、グループでの自由行動というのが親と担任の先生にはとても不安だった。

「グループのみんなと上手くやれるだろうか」
「なにか気に入らないことがあって、騒ぎ出したら・・・」
「夜、眠れなくてウロウロしたり・・しないだろうか」
「京都は人が多い、ストレスにならないだろうか」

と不安は尽きなかった。

出発前日になって、担任の先生から「班行動はやめて先生とYOO君の二人で行動します」との変更を告げられた。
すこし安堵したが「先生の手に負えない状況になったらどうしよう・・」との不安がぬぐえず、結局父が静岡に出張することにして「ついでに京都にも寄るかもよ・・」という作戦を決行することになった。

つまり自由行動の日、父もこっそり京都に行って、先生から緊急出動の連絡があったら30分以内に駆けつける・・という作戦。

というわけで、修学旅行2日目の朝、父も京都に到着した。
ひとりで探偵ごっこやってもしょうがないので、京都在住の姉夫婦に協力してもらい、先生からのメールを待ちながら、YOO父と姉夫婦で市内観光。

YOOと鉢合せにならないように、ちょっと場所をずらして・・(後から聞いた話では、京都駅でニアミスを起こしていた。)

紅葉の時期の京都は良いですね。
「あー日本に生まれてよかった・・」なんて思ってしまうほど。

YOOの予定表を見ると、午後は食事と金閣寺だけだった。
時間が余りそうな気がしたので、「もし時間が余ったら梅小路蒸気機関車館に連れて行ってやってほしい」とメール。

これが当たった。
ちょうど人の多さに機嫌が悪くなっていたYOOは、たくさん並んだ蒸気機関車を見て大興奮!一気に上機嫌になったという。

YOOは蒸気機関車が大好き。YOOにとって、梅小路蒸気機関車館は夢のような場所だ。
扇形車庫に整然と並んだ蒸気機関車、よく見ると「機関車トーマス」のキャラクターにそっくりなやつもいる、おまけに本物の転車台まである。
「喜ぶだろうな~」との父の思惑は見事的中。後で先生にお礼を言われてしまった。

すっかり上機嫌で旅館に帰ってきたYOO。
父が面会に行くと、ニコニコ笑顔で出てきた。
京都のおばちゃんにも会えて、嬉しそうだったが、10分もしないうちに

「僕はお友達とUNOをします。バイバイ」と言って、とっとと部屋へ帰って行った。

親の心配をよそに、お約束のマイペース。
父の心配事はあっけなく吹っ飛ばされ、その落ち着き払った背中を見送った。

「なんだかんだ言って、あいつも成長したんだな」
「結局、親の取り越し苦労で終わったか。よかった、よかった。」

翌日、一足先に父は帰路につき、父の親バカ旅行は終わった。

が!!

空港に止めていた父の車はバッテリーが上がっていて・・・

OH MY GOD!!!
この春から地元の中学校に入学した。

養護学校か、地元中学の特別支援学級か悩んだあげく、本人の意思を尊重し地元の中学校に決めた。
親としては、綱渡りのような心境である。
YOO母とは「行けるとこまで行ってみよう」という話で落ち着いた。

相変わらず発声チックがおさまらず、時に大声を出したり、自分でコントロールすることも出来るみたいだが、よっぽどのエサがないと声はおさまらない。学校でみんなの授業のジャマにならないか心配する日々は続く。

先生に頼み込んで美術部に入れてもらったが、サボってばかり。最近は全く参加していないらしい。

とはいえ、学校には元気に登校してはいる。二泊三日の集団宿泊も無事に乗り切ってくれた。(本人の努力というよりも先生や周りの子のサポートが秀逸だったのだと思う)

これから、最もムズカシイと言われる「思春期」に入る。
ときに、ズボンがもっこりしていてギョッとする場面もあり、父として難しい局面に立たされている。

どうしたものか・・・何をどう教えれば良いのか。
ヤレヤレ困ったな。

中学選び 2010.08.26
6年生も半分が終わり、来年の中学進学を決める時期である。

父としては、中学は自閉症教育に定評のある、県下で有名な養護学校へ行かせる為、施設入所を考えていた。
しかし、認知症になったおばあちゃんのことで奔走しているうち、YOOの中学進学のことは後回しになり、加えて施設に見学に行った人からは”順番待ち”で入所は難しいという現実を聞かされた。

それなら、とりあえず自宅から通える支援学校へ・・という方針で学校とも話し合いを持っていた。
実は地元の支援学校、○○養護学校は保護者の間では、すこぶる評判が悪く、我々としても学校見学に行ったり活動内容を聞いたりした中で、良い印象は持っていなかった。

それでも、現在のYOOの様子を見る限り、普通中学の支援学級では荷が重過ぎる・・と考えての結論だった。

母親任せではあったが、まあ順調に進んでいる・・はずだった。が、○○養護学校に決めようとしていることを知った他の親たち(障害児の親仲間)が口をそろえて、

「なんで、○○養護学校にやるのか?」
「普通学校でなければ経験できないこともある。考え直せ」
「どうしてYOO君を・・・もったいない」

などと・・反対意見ばかり。

このことが○○擁護学校に、わだかまりをぬぐいきれない我々の心を折ってしまった。
またまた緩む決断。
先輩達や客観的にYOOを見ている人たちの意見は聞くべきではなかろうか・・

「じゃ~1年だけでも普通学校の支援学級に入れてもらおうか」と話し会ってみたものの、
小学校の担任や校長、教育委員会などに「何をいまさら!」と反対されるのも目に見えている状況。

「本人にやる気があるなら、親は戦わなければならぬ」

とは言うものの・・・当の本人は6年生になって4時間以上学校に居られた事がない。
学校の話をするとチックも酷くなる始末。

う~~~ん。

困ったな。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。